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株式会社 北九州輸入促進センター

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それだけできれば2015年10月の休館日

シュワッチむつみです。

 

「男2代の子育て講座」の参加者をただいま大募集中です!!

詳細→ http://www.kosodate-fureai.jp/event2/2015/10/#a12002

 

 

しかし、まずは

2015年10月の休館日のおしらせをいたします。

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10月

6日(火)、20日(火)

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さて、「男2代の子育て講座」です。10月11日です。

詳細→ http://www.kosodate-fureai.jp/event2/2015/10/#a12002

 

昨年度は台風19号にともなう臨時休館のため、中止の憂き目に遭いました。お申し込みの皆様には本当に申し訳なかったです。

(上の皆様には、4ヶ月後の「子どもの館」での実施分をご案内しました。)

 

今年も台風が(かなり)多いですが気にしない!!

 

PR動画(各1分くらい)をご覧ください。

 

 

もういっちょ。

 

 

スタッフが熱演しています。

上司の指示でムリヤリやらされたとは思えない好演を見せてくれています(ありがとう)。

 

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コレ(↑)がチラシ。クリックすると拡大します。

 

詳細は公式サイトの→イベントページをご覧いただくとして、最後に男たちに「ウルトラマンネクサス」(古い)よりこの言葉を贈りたい。

 

男なら 誰かのために強くなれ

歯を食いしばって 思いっきり守り抜け

転んでもいいよ  また立ち上がればいい

ただそれだけ できれば

英雄さ

 

イエー!!!!!

 

「男2代の子育て講座」の詳細はコチラ↓

http://www.kosodate-fureai.jp/event2/2015/10/#a12002

わが子を愛せなかった僕の話

虫が怖い、むつみです。

でも、夏なので夏らしく、虫の話からはじめましょう。

え、もう残暑ですか。まぁ、いいジャマイカ。気持ちは夏。

 

ぼくは虫がこわい。でも長子(6歳)は、みなさまのお子さまもそうだと思いますが、どこからか拾ってくるんですよ。

クワガタ、セミ、バッタ、トンボ、カマキリ、小さなカエルあたりは、まあ大丈夫です(ギリギリ)。

カタツムリとかイモムシ、カニあたりになると、もうダメ。こわい。

 

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ところが、不思議なもので、観察したり毎日お世話したりしていると、恐怖が和らぐんです。

なんででしょうね。考えられる理由はひとつしかありません。

相手のことを知ったから。

 

 

人間相手でもおなじです。

ぼくたちは、よく知らない人については「こわい」「気持ちわるい」などの拒絶の言葉をわりと気軽に投げつけることができます。

ところが、知っている人について、快刀乱麻を断つがごとく否定の言葉を発することは、たとえそれが適切な批判だったとしても、発言者にかなりのストレスをもたらすはずです。

知らないから否定できるんです。「実際に会ったら悪口が言えない」というやつです。

だから、親しい知人友人にイラっとしたとき、ぼくたちは相手を罵倒するどころか擁護することがあります。

「あの人も立場がね」とか「過去にあんなことあったけしょうがないか」とか「裏ではいい人らしいよ」とかね。

そのほうが気持ちが落ち着くからです。

 

ようするに、ぼくたちは相手のことをきちんと知れば、必要以上に恐怖を感じたり、気味わるがったりすることはなくなり、むしろ親近感をもちやすくなるのです。

ぼくが言っているのではないですよ。心理学で言うところの「熟知性の原則」です。

 

子どもたちが虫をこわがらないのは、彼らが無知だからではありません。

彼らは虫のことを実によく知っています。

姿形を詳細に絵に描けるほと記憶し、生態をよどみなく説明してくれます。

もう一度申し上げます。

子どもたちが虫をこわがらないのは、虫のことをよく知っているからです。

 

たとえば、平気で手を伸ばして虫をわし掴みにすることができるのは、その虫の攻撃方法や間合いを知っているからこそです。

「あのカブトムシより、このカブトムシのがカッコイイ!」と言い切るのも、「あの」と「この」の違いを知っているからです。

ぼくからすると、「見た目同じじゃねえか」と思いますが、彼らにはハッキリと違う個体に見えているようです。

 

個体識別ができるとは、他と区別できるだけの情報をもっているということです。

それだけの情報をもつと、相手のことを嫌いになるのは逆に難しいと思います。

「知らない子ども」が騒いでいるとイラっとしても、「山田のタロちゃん」と「川崎さんちのひーちゃん」といった知ってる子どもが騒いでいたら「元気でいいねえ」と微笑ましく感じるとはよく聞く話です。

 

 

この夏、ゴキブリについて勉強しました。

ぼくにとって世界でいちばん怖い生きものだからです。気絶するくらいこわい。マジで。

でも、いい大人(しかも世帯主)が自宅に出たゴキブリから逃げまわるのは、ちょっと「イタイ」と思いましてね。

相手を知れば百戦危うからず。

書籍を読み耽り、絵を描きました。「ごきぶり展」(そういうものがあったんです!)にも行きました。

 

結果・・・やっぱりこわい。こわいものはこわい!! ダメじゃん(笑)

でも、気持ちは寄り添った(気がする)。

ゴキブリを人類に仇なす害虫としてではなく、昆虫として、同じ地球に生きる仲間として感じることができるようになりました。

その後、屋内外でクロゴキブリやワモンゴキブリを見かけましたが、種類の違いがわかる程度には観察して、逃げずに相対することができるようになりました。

 

相対するって、つまり「殺す」わけですけど、結局。

行為は同じ。でも気持ちは違う。

感情ひとつ動くことなく機械的に「駆除」するのか、「残酷かも。でも・・・」と(いくばくかの)葛藤のうちに「殺す」のか。命に関わっているという自覚をもつことは、目の前の子どもの将来に悪い影響は与えないと思います。

 

 

いつものように脱線してきましたね。話を戻します。

ぼくたちが何かに対して「嫌い」とか「怖い」とか「気持ち悪い」などと否定的に思うときは、じつは対象のことをよく知らないことが原因かもしれないという話でした。

 

 

ぼくは、第一子が産まれたとき、(父として)正直それほど可愛いとも愛おしいとも思いませんでした。

念のために申し上げますが、新しい生命の誕生におごそかに畏敬の念を抱きましたし感動もしました。父親としての責任と喜びに打ち震えもしました。でも、それはあくまで生命一般に対する心の動きや与えられた役割への武者震いにすぎず、余人をもって代えがたい目の前のこれこの子そのものに対しての心の動きではなかったと思います。

ところが、出産直後の妻のわが子に対するあたたかな眼差しと所作は、すでに「自分の命より目の前のこの子を大切に思う母」でした。

ぼくは、自分と妻とのギャップに、ひどい不安感と罪悪感を抱きました。

 

でも、愛おしくないのも当然だったと今は思っています。

ぼくは、わが子を十月十日も体内で育んだ妻と比べたら、彼(息子なんです)のことをまったく(その重みや胎内での暴れ方すら)知らなかったのですから。

 

あれから毎日と言っていいほど子どもを抱き、おむつを替え、風呂に入れ、食事を食べさせ、歯を磨き、服を着せ、汚したものを掃除し、絵本を読み、転げまわって遊びました。

今では目を閉じれば笑い顔も泣き顔もどんな表情も浮かびますし、耳を澄ませば声が聞こえます。足のにおいや肌のあたたかさも彼がいなくても感じるし、どうやったら笑うか、どこまでは泣かないかも(それなりに)わかります。

ぼくは彼のことをずいぶん知りました。

気づくと、ぼくは彼が愛おしくてたまらなくなっていました(言ってて恥ずかしい)。

 

愛や好意は、たしかに理屈を超えた感情だと思います。でも、それらは縷々(るる)述べたように、ある日ポンッと突然存在しはじめるものではありません。

これは親としてはショックな事実でした。

だって、積み重ねた知識や経験が愛の根拠なら、彼の親はぼくじゃなくてもいいということになります。積み重ねがあれば親は赤の他人だっていいのです。

でもね、同時に祝福でもあるんですよ。

血が繋がっていなくたって、もし今嫌い合っていたって、それは未来の親子関係が暗澹(あんたん)たることを保証しません。むしろその逆です。

愛の関係は、いついかなる瞬間からもつくりあげることができるわけですから。

 

だからぼくは、昔の自分に会えたら言いたいことがあるんです。

「子どもが可愛くない? それでいいんだよ。いや、それがいい」

 

 

嫌いのもの、忌避するもの、あるいはまったく興味のないものがたくさんある人ほど、その後の人生が爆発的に豊かになる可能性を秘めています。

だから、子どもが虫を連れて帰ってきても逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ。

 

 

いやぁー・・・、無理!!!!!(笑)