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「のんきのすゝめ」と2015年8月の休館日

育児フアン、むつみです。

 

まずは2015年8月の休館日のおしらせから。コチラ。

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8月

4日(火)、18日(火)

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ファイル 2015-07-19 16 53 45_Fotor

 

私は育児に不安を感じたおぼえがありません。

それは、当然ですが、私が「できる親」だからではありません。むしろ逆です。

私は「できない親」です。でも「のんき」なのです。

「のんき」ゆえに、私は自分の「できなさ」に悩むことがありません(というか、できません)。

 

もちろん「のんき」だと、私はとってもラクですけど、子どもはたまったものではありません。

しかし、世の中はうまくできているもので、私の「できなさ」を見かねた周囲の皆様のお力添えで、子どもは笑顔に、私もよりいっそう不安とは縁遠くなっております。

みなさま本当にありがとう。いやホントに。

 

ただ、ひとつ釈明をしておきたい。

私が「のんき」なのは何も考えていないからではありません。

考えた結果、「のんき」に至るのです。(いえ、普段はたしかに何も考えていません。育児についてだけは、私なりの熟慮の末に「のんき」化していると申し上げているのです。)

 

私は困ったときには話を極端する癖があります。

 

離乳食をうまくつくれなかったときは、「明治とか室町とか弥生時代に、離乳食なんてなかったしょ」と考えていました。

実際、今のような離乳食はたぶん「ない」と思います。でも、当時の子どもは、きちんと成長しました(その証拠に私たちは絶滅せずにいます)。

人は、料理本や講座どおりの離乳食を食べなくても成長できるのです。あたりまえですよね。

(同じ理由で、毎日つくる晩御飯の献立が同じものばかりになっても、落ち込むことはありません。昔の人が、今の私たちより、変化に富んだ食事をしたとは思えません。でも、当時の子どもは・・・以下同文。)

 

インスタント離乳食もよく使いました。

技術は日進月歩で進化しています。そのうえこのネット社会では、世間の評価次第で大企業ですらカンタンに経営が傾いてしまいます。品質確保は企業の死活問題のはず。

インスタント離乳食、信用していいでしょ。

 

子どもが食事を盛大に床にこぼして、「この子の将来のために毎回注意しているのに、ぜんぜん伝わらない」と怒りと虚しさがこみあげてくることもありました。

でもそのとき、「30歳になったこの子」を思い浮かべると、「マさすがに、こぼしてないわな」と苦笑いをしつつ、いずれ伝わるという確信をあらたにして、泰然と叱ることができました(叱るのは叱ります(笑))。

 

「弥生時代」とか「30歳」というのは、話が飛躍しすぎとお思いの方もいるかもしれません。

ただ、「ふつう」とか「平均」とか呼ぶ「過去の他人の事例やデータ」と「わが子の今」の比較も充分に飛躍してると思えるんですよね。

 

事例やデータを否定しているわけではありません。

それらは、路傍の一里塚のようなもので、初めてその道をゆくわれら子育ての旅人(笑)にとって、命を託すに足る道標であることに異論はありません。じじつ、何度頼りにしたことか。

 

つまり、同じような飛躍した話なら、親の気持ちがふわりと軽くなるほうを、そのつど如意自在に選んだほうがよいのではないか、というご提案を申し上げているのです。

そのほうが日々笑顔でいられますもん。にっこり。

 

先人たちが異口同音に言ったことは、「ママが(パパも)笑っていれば、家庭内のことはたいていうまくいく」ということです

 

家庭内に限りませんね。

「それは駄目、これも駄目」と眉間にしわ寄せて、ため息と叱責まじりのダメ出しを重ねることで、「私」の選択すべき方法を消去法で指し示す人物に対してより、「私」の失敗を赦すばかりか、「次もどんどんやりなさい」と、穏やかな笑みをうかべて、次の選択もふたたび私に委ねてくれるような広大無辺な人物に、人はついていくと思います。少なくとも私はついていきたい。

子どもだって同じです(たぶん)。

 

ここまで書いて、ふとある名文を思い出しました。

松田道雄の言葉です。

以下に転載しておきます。

 

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「お誕生日ばんざい」

 

誕生日おめでとう。

 

1年間の育児で母親としておおくのことをまなばれたと思う。赤ちゃんも成長したけれども、両親も人間として成長されたことを信じる。

 

1年をふりかえって、母親の心にもっともふかくきざみこまれたことは、この子にはこの子の個性があるということにちがいない。その個性を世界中でいちばんよく知っているのは、自分をおいてほかにないという自信も生まれたと思う。その自信をいちばん大切にしてほしい。

 

人間は自分の生命を生きるのだ。いきいきと、楽しく生きるのだ。生命を組み立てる個々の特徴、たとえば小食、たとえばたんがたまりやすい、がどうあろうと、生命をいきいきと楽しく生かすことに支障がなければ、意に介することはない。小食をなおすために生きるな、たんをとるために生きるな。

 

小食であることが、赤ちゃんの日々の楽しさをどれだけ妨げているか。少しぐらいせきがでても、赤ちゃんは元気にあそんでいるではないか。無理にきらいなごはんをやろうとして、赤ちゃんのあそびたいという意志を押さえつけないほうがいい。せきどめの注射に通って、満員の待合室に赤ちゃんの活動力を閉じこめないがいい。

 

赤ちゃんの意志と活動力とは、もっと大きな、全生命のために、ついやされるべきだ。

 

赤ちゃんの楽しみは、常に全生命の活動のなかにある。赤ちゃんの意志は、もっと大きい目標に向かって、鼓舞されなければならぬ。

 

赤ちゃんとともに生きる母親が、その全生命をつねに新鮮に、つねに楽しく生きることが、赤ちゃんのまわりをつねに明るくする。近所の奥さんは遺伝子のちがう子を育てているのだ。長い間かけて自分流に成功しているのを初対面の医者に何がわかる。

 

「なんじはなんじの道をすすめ。人びとをしていうようにまかせよ」(ダンテ)

 

 

松田道雄「育児の百科」(岩波書店)より

 

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うーむ、最初から松田翁の文章を載せていれば話は早かった。

失敗失敗。