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言葉は魔法で 2015年7月の休館日で

青梅雨、むつみです。

 

まずは2015年7月の休館日のおしらせから。コチラ。

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7月

7日(火)、21日(火)

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青梅雨(あおつゆ)とは、夏の季語。最近、友人が使っていました。

 

頭に「青」とつけただけなのに、梅雨のいわゆるじめじめや鬱陶しい印象はなくなり、清々しい潤いある閑かさを感じます。

おかげで、雨がちょっと待ち遠しくなり、雨の中をわが子とならんで散歩しました。物好きですね。

 

言葉とは不思議なものです。

物質としては存在しないのに、私の心、精神(これも非物質ですね)に作用し、私の体(物質です)の行動を変えたのです。

 

「言葉に気をつけなさい」

子どものころ、汚い言葉を使うたびに、父や母に注意されました。

今思えば、それは周囲の人に害をなすから(だけ)ではありません。だって、汚い言葉で罵られても他人事のように無視することは、じつは容易いのです。

でも、当の発言者はそうはいきません。自らが発した言葉は、必ず自らが聞くことになります。

言葉に気をつける必要があるのは、発言者自身の心と体が蝕まれることを防ぐためだったのです。

 

6月19日、元気のもりにて、子育て支援サロン“ぴあちぇーれ”の研修がありました。

講師の中島俊介先生(元北九州市立大学教授)がこんなことを言っていたそうです。(私は参加していないので参加者から聞きました)

「コミュニケーションで大切な言葉があります。ひとつは“ありがとう”で、もうひとつは“確かに”です」

おお。

 

“ありがとう”は、感謝の言葉です。

「自分は自分以外のもののおかげで今ここにいる」という事実を認め頭を垂れることです。

“確かに”は、認知、許容の言葉です。

「自分とは違っていたり、想像もできない仕方で存在したりする(と思われる)考えや物」を受け入れることです。

 

コミュニケーションとは、自分と他者のあいだでだけ成立するのではありません。むしろ「私」がいちばんコミュニケーションをとるのは、「私」自身です。

ですから、“ありがとう”と”確かに”という言葉は、その言葉を発する数だけ、発言者(私)自身に作用します。

 

そうなんです。

 

言葉に気をつけなさいとは、悪しき言葉で自分を侵すことを防ぐと同時に、よき言葉で自分を高めるという二段構えの愛の言葉だったのです。

ありがとう、お父さん、お母さん。

 

件の友人が続けて言いました。

「もっとすごいの、最近知った。「梅雨の星」。」

意味は調べてね、だそう。みなさんも調べてね。すごかったよ。確かに。

募集! 子どもイベントしたい方

今回はタイトルのとおりボランティアの募集です。

 

先月、「学生さんはタクシーなんて使わないほうが、将来幸せになれるのに」という話をしました。この「学生さん」たちについての続報からお話をはじめます。

まあ、まずはお聞きください。

 

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ある朝、不意に豪雨に見舞われた日のことです。

私の自宅近くにある学校に、徒歩で通学する学生のみなさんを見ると、控えめに言っておよそ7割の方が、突然の雨に雨具の用意もなく、濡れながら駆けていました。

不思議な光景でした。

 

だって、前日まで台風襲来で騒いでたんですよ。おまけに曇天。雨こそ降っていなかったが、早朝から時折雷鳴が轟く。そんな日だったんです。

雨を予測するのに充分な条件でしょう。むしろ、玄関を出てすぐに「あれ、雨降りそう」と、つぶやきのひとつも出そうな空模様だったわけです。

じじつ、通勤者など多くの方が、傘をさしていました。

 

そのなか、学生さんにだけ、雨具を不携帯の方が<多数>見受けられたのです。不思議でしょ?

 

結論から申し上げると、「今を生きる」能力だけが突出してしまったのでしょう。

 

「今この瞬間の自分」にのみ注意を傾けた結果、周囲にあふれているはずの「このあと起こりうる」雨の情報を結果として見事にスルーしたのです。

空模様、家族、テレビ、ネット・・・、むしろ降雨のアナウンスを無視するほうが困難ではないかと思うのですが、それができてしまう。

 

「いや、彼らには濡れてもいいという覚悟があったんだよ」

でも、それなら雨を避けるように走るのは、道理にあいません

「雨具を持つデメリット(重さ?)より濡れるほうがラクだと思ったんじゃない?」

うーん。「朝イチからびしょ濡れで1日を過ごす不快および周囲への迷惑」と「傘1本携帯することの疲労」の交換は、私には割にあわない取引に思えます。

 

ところがこの取引を成立させるロジックがあります。

先ほど申し上げましたね。「今この瞬間の自分」の満足だけを追求することです。

すると周囲にあふれる降雨の情報に気づかない。だって「今家にいる自分には関係ない」から。

 

若者は自分のことを大切にすると言われますが、そこに過去や未来の自分は含まれていないように思われます。

だから、「さあ出かけよう。傘はジャマ、置いていこう」「雨が降ってきた。濡れる、嫌だ、走ろう」と、その都度考えるのですが、「今は降ってないけど雨はこのあと降りそうだ。傘はちょっとジャマだけど、濡れて1日過ごすよりはマシだ。念のために持っていこう」とは、ならない。時間的に離れた思考は架橋されない。

 

ボランティアの話を忘れているわけではありません。

若い人たちをディスっている(けなす、否定する)わけでもありません

 

むしろ逆です。

彼らはそれぞれ素晴らしい志をもっている方ばかりです。

ぐるりと周囲の若者たちを見回しても、日本の未来は(私たち大人が誤っても)だいじょうぶ!と心から思えます。

私の自宅の前を歩く学生たちだけが選択的に劣等だとは思えません。彼らもきっと未来を託すに足る頼もしい若者たちでしょう。

おそらく今の若い人たちは、私の世代が同年齢のとき(20年前の青年)より、総じて知的で行動的で情に厚く融和的で問題解決能力も高いと思います。

 

ただ、彼らは「自分」の範囲が狭すぎるのです。

もったいないですよね。

後先を考えないというのは若者の特権ではありますが、1時間前と1時間後の「自分」すら、「他人」事のように考えが及ばないのは、刹那的にもほどがある生き方です。

 

反省や夢や希望というのは、どこまで時間的に自分を広げることができるかということでもあります。

先人のしたことの責任を果たし、次世代の笑顔のために尽力するのは、自分が存在しない時間のことさえ、自分の問題として取り扱うということです。

だから、自分の範囲を時間的に小さくすることは、反省や夢や希望の小ささと直結します。困ったことです。

 

かといって、「自分」の範囲を広げるのは、たやすいことではありません。

後先を考えることは、大人たちからすでに何度も要請されているはずだからです(それが大人の仕事です)。何度も求められているのに、それでも、なかなか広げられていないところに、問題の難しさがあります。

 

それなら、逆に、「自分」ではなく「他人」のことにかまける経験を積めばいかがでしょうか、というのが私の提案です。

1時間前や後の自分が「他人」同然でも、他人として心づかいができれば問題は解決ですよね。

他人への心づかいを学べばいいのです。

 

学びは驚きとともにあると言われます。驚きが不思議を呼び起こし、探究心を発動させるということです。驚きは予測と事実が違ったときに発生します。

他人のなかでとくに予測できないのは、やはり・・・子どもでしょう。

 

 

 

・・・あ! 元気のもりでボランティア、しません?(ほらね)

 

 

エアートランポリン「ふわふわ」や食とゲームのお祭りイベント「縁日」の運営スタッフをは

じめ、さまざまな活動をご用意しています。

子どもたちの楽しいひとときをつくるために、お力をおかしください。

 

「たくさん活動したい!」方も「夏休みなど短期集中的に!」という方も大歓迎♪

あなたの都合のいい時間からはじめてください。

 

まずはお気軽にお電話くださいね。

活動を決める前に、施設を見てみたいという方もどうぞ。

 

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